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コンラッド・ニコルソン・ヒルトン
Conrad N. Hilton(1887-1979)
ニューメキシコ州サンアントニオ、12月25日のクリスマス生まれである
父のオーガスト・ヒルトンはノルウェーから砂漠の真ん中ニューメキシコ州に移住してきた
ノルウェー人のオーガストは大変勤勉な男で雑貨屋を営んでいた
事業は成功し大豪邸に住んでいた
コンラッドはオーガストとメアリー夫妻の7人兄弟の一人として生まれた
7人の兄弟はそれぞれ学校に行くことができた
コンラッドは陸軍兵学校からセント・ハミエル大学そして、ニューメキシコ鉱工業大学前身の学校で学んだ
大学を卒業すると父の雑貨屋を手伝い、A.H.ヒルトン&サンという企業の共同経営メになる
ヒルトンホテルのきっかけは1907年の不況にある
ビジネスが不況の打撃を受けたためヒルトン家は
8つのベッドルームのあるレンガ作りの大きな家の部屋を利用することにした
コンラッドは一部屋、一晩1ドル朝食付きでお客さんに貸すことでこの難局を乗り越えようと提案した
コンラッドは毎日、駅に出かけては主張のビジネスマンの客引きをした
ヒルトン一家は努力の甲斐がありピンチを脱した
1908年、コンラッドはホテル業を一時中断し、雑貨屋の手伝いをしながらニューメキシコ・ステート銀行の出納係りを勤めた
その後、ヒルトン一家の財政状況は田舎で注目の高級車を乗り回す程、改善された
1918年、コンラッドは海軍大尉として第一次世界大戦に参戦していた
父オーガストは当時にしては珍しい交通事故で亡くなった
コンラッドは戦争から戻るとテキサス州シスコに移住した
そこでコンラッドは銀行を買収しようとした
買収は失敗したが、この試みがテキサスでのホテル事業の糸口となった
ホテル不足を知ったコンラッドはシスコのモブレイ・ホテルのオーナーと会う機会を作った
ホテルオーナーは顧客の高い要求にうんざりしておりホテル事業を引き継いでくれる人がいれば、誰かに譲りたいとコンラッドに語った
コンラッドはおそらく、不況の時を思い出しながら事業機会を嗅ぎ取った
彼は5,000ドルの遺産と友人の資金をかき集めオーナーの問題を解決し本格的にヒルトンホテルを開業することにこぎつけた
以後、サンフランシスコのサー・フランシス・ドレイク、ニューヨークのプラザホテル、ウォルドーフ・アストリア、スタトラー・ホテル・チェーンと事業を拡大していった
シカゴではコンラッド・ヒルトン・ホテルを建設、当時としては世界最大の1000の客室を持っていた
コンラッド・ヒルトン・ホテルをヒルトン・ホテルの旗艦として1970年代には全ホテル数が125を超えていた
一方、政治の世界にも興味をもったコンラッドは政界に進出すると1912年、25歳の若さで最初の州議会議員に選ばれた
私生活においては女優のザ・ザ・ガボールとの結婚、破局、息子のニッキーはエリザベス・テーラー
の最初の夫になったりと今でも話題の多い家系である
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